英語教員として教壇に立ち、気が付けば十数年が経ちました。
最近、私が最も強く感じているのは、英語学習を取り巻く環境の劇的な変化です。かつては、わからないことがあれば紙の辞書や電子辞書とにらめっこをし、格闘の末に適切な解答を見つけては、心の中で小さくガッツポーズをしていたものでした。
今や、AIに問いかけ、Webを検索すれば、英語に関する知識は無尽蔵に、そして一瞬で手に入ります。AIによる添削、スピーキング練習、YouTubeを活用した情報収集。英語教材を買い込まなくても、やる気さえあれば無限に学べる、素晴らしい時代になったのだと感じます。
利便性の裏側に潜む「静かな危機感」
しかし、その一方で拭えない「危うさ」も感じています。
ネット上に溢れる英語学習ブログの多くは、断片的な知識の吸収には適していますが、「体系的に言語という学問に触れる機会」を、知らず知らずのうちに奪っているようにも思えるのです。
また、AIが進化すればするほど、私たちの出力する言葉は「一般的で平均的な言語活動」へと慣らされていきます。これまで私たちが大切に培ってきた「思考」と「言語」の濃密な繋がりが、どこか乏しく、希薄な関係に変質してしまっているのではないか。そんな危機感です。
このブログが目指すもの
そこでこのブログでは、流動的に変化し続ける現代英語の「基盤」をもう一度見つめ直したいと考えています。
頼りにするのは、時代を超えて読み継がれてきた文学的作品であり、先人たちが積み上げてきた言語学の歴史です。それらにできるだけ誠実に、忠実に向き合うことで、断片的な知識ではない「芯のある英語」を共有したい。
これは、AIを敵対視するものではありません。 むしろ、私たちがAIの情報を的確に使いこなし、同時にAIもまた人間の思考を豊かにしてくれる。そんな「人間とAIの幸福な関係性」に少しでも近づくための、私なりの「もがき」の記録でもあります。
知的な発見と、言葉への深い愛しさを込めて。 これから少しずつ、内容をアップしていきます。
これから少しずつ内容をアップしていきますので、ご覧頂ければ幸いです。

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